矢幡洋の犯罪心理学と事件-日々の考察

犯罪事件コメンテーターとしてTVに出ることがあります。社会の出来事や自分の体験を心理学的に考察します。3日に一度、昔、単行本などに書いた少年犯罪分析を連載します。自分で取材した古い事件もあります。他、本家ホムペ・ブログ更新情報も告知します。

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カントとイラスト、こんな激レア犯罪者がいただろうか | 岡山女児監禁事件藤原容疑者を解明する

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(写真は事件と無関係なイメージです)

みんな忘れてしまったのだろうか、あの孤独で奇妙な犯罪を

  岡山倉敷市女児監禁事件の藤原容疑者は、私にとっては、忘れがたい犯罪者だ。私は、藤原容疑者は激レアだと思っている。つまり、私は藤原容疑者は回避性パーソナリティー障害に近いと思っていて、そして、このタイプが犯罪を起こすなど、初めて聞いた事件なのだ。 


  藤原容疑者は、回避性パーソナリティー障害・ ・ ・という仮定が成立しなければ、私の読みはすべて崩れることになる。だが、犯罪報道に関心がある人なら、藤原容疑者があまり犯罪を起こしそうもない人物だという印象はもたれたのではないだろうか。

物静かな態度の背後に他人への激しい憧れ

  それは、 「カントを愛していた」ということでは無い。この人物が、孤独癖を持っていたこと、そしてその反面、他人との出会いに対する激しい憧れを内に秘めていた、と見られることである。


  まず、 20代の藤原容疑者を知る友人たちが証言している「物静かで、目立たない」と言う佇い。交友関係が少なく、無口。

無口無表情な人には二つのタイプがある

  さて、このような「 1人でいる時が1番ほっとする」孤独を愛するタイプは、さらに2つに分かれる。 1つは、根っから人間に興味がないシゾイド・パーソナリティーであり、もう一つは、 「実は、他人との出会いを切実に求めているが、傷つくことが怖くて距離をとっている」回避性パーソナリティーである。私は、このタイプの本質は「シャイネス」であると思う。


  2つ孤独タイプのどちらかと言うと、私には、回避性パーソナリティの方だという気がしてならない。まず、被害者少女に「一目惚れ」したということ。 「理想の女性に仕立てたい」と思ったという事。警察が踏み込んだ時に少女のことを「妻」と呼んだこと。


 これらを見ると、藤原容疑者は、他人との関係を切実に求めていた、と考えたほうがいいだろう。

 

回避性性格者の人間関係の小道具-彼の場合はイラスト


  私の持論なのだが、回避性パーソナリティは、 「下手に相手に近づけば、傷つくに決まっている」と言う低い自己評価を持っている。そのため、間接的な対人関係の小道具を得意とするようになる。高校時代の藤原容疑者は、クラスメートに頼まれて、相手のイラストを描いてやったりしたそうだ。まさに、 「相手と直接接近するのが怖いので、 『相手のイラストを描いてやる』ことによって接触した」という傷つきやすいけれど他人との関わりは持ちたいという人物の間接的交流である。

生身の相手とはやはりうまくゆかなかった


  シャイネスらしく、周囲の大学院生が就職を決めて行くのに自分1人が決まらない事を恥ずかしがり、いつの間にか単位修得の上で退学という形をとっていた。詳細は不明だが、藤原容疑者は30歳でいちど離婚を経験している。やはり、生身の人間と至近距離でやっていくということになると、うまくいかなかったのだろう。


  それから先は、まさに、組織などの人間関係から逃れられなくなってしまう場所を避けるような孤独な道筋をたどっている。家庭教師、宿直室に寝泊まりする学校警備員、そして一人暮らしのイラストレーター。 


  孤独な生活はどれぐらい続いたのだろうか。それでも、 「他者との出会い」に対する憧れを断つことはできない。理想とする少女のイラストを部屋中に飾っていた。ミロンは、回避性パーソナリティーは、他人との関係にプレッシャーを感じるため、対人関係への憧れを内的なファンタジーの中で表現しがちである、としているが、まさにそれであろう。周辺の住民から不審に思われるほど孤立した生活を送りながら、孤独な内面の中では活発な活動が続いていた。ミロンは、このタイプを、最も芸術家気質としているが、確かに思い当たる。

「傷つけてこない相手に育てよう」という幻想的動機

  年齢もそこそこになってしまった。そして、孤独だ。異性は欲しい。だが、手痛い失敗の記憶がある。ここで、藤原容疑者の解決方法はとんでもないほうに行ってしまう。生身の人間とでは傷ついてしまうのであれば、そのような摩擦が全く生じないような女性に育てるために少女時代から相手を育成すれば良い。

前後の断絶の大きさが謎


  僕は、こんなふうに理解できるのではないかと思っている。だが、どうしてもわからないのは、藤原容疑者が、少女を監禁した後、一体どうやって少女が成長するまで独占状態を続けることができるなどという非現実的な発想に走ってしまったのか、ということである。 「内的ファンタジーの世界に埋没しすぎて、現実検討力が低くなっていたのだ」という解釈は必ずしも当てはまらない。少女を拉致するまでは、拙劣なところは見せながらも、それなりの計画性を見せているからだ。


  この断絶についてはうまく説明できないのだが、藤原容疑者は「回避性性格者の珍しい犯罪事件」として僕の記憶に残りそうだ。もちろん、少女監禁というような行為が許しがたいものであるにせよ。