矢幡洋の犯罪心理学と事件-日々の考察

犯罪事件コメンテーターとしてTVに出ることがあります。社会の出来事や自分の体験を心理学的に考察します。3日に一度、昔、単行本などに書いた少年犯罪分析を連載します。自分で取材した古い事件もあります。他、本家ホムペ・ブログ更新情報も告知します。

「元の世界に戻して」被虐待児は成長した後、解離障害に襲われる。その後・・・この部分は8月31日までネット上で無料立ち読みできます!
もし元不登校児の娘が自閉症だったら
「ママなんか死んじゃえ」衝撃の著者家族ノンフィクション!   

小保方さんvs野々村議員 | 真逆の二人、演技性対妄想性

 f:id:yahatayo:20140817140253j:plain

小保方さんの真逆タイプは? 

 

小保方さんの基本的なパーソナリティーは、 「感情によって動かされやすい気分屋さん」 「注目を浴びたがり、でっかいことを言いたがる」 「外見で人目を引こうとする」 「アイデアマンで社交的」と言う過大評価されやすい側面と「ルール・ポリシーに従って自分をコントロールすることが苦手」 「計画性がなく、ずさん」 「面白そうだと思うとすぐに飛びつき一貫性がない」などのアテにならないルーズさを持つ演技性人格をモデルとして理解できるkだではないか、と指摘してきました。


 では、こういう「派手な口先だけキャラ」と正反対のパーソナリティースタイルは何でしょうか。それは、強迫性パーソナリティーです。自分の感情を押し殺し、ルール・規則と合理的な計算によって物事を計画的に進めて行こうとする「堅実キャラ」です。 「伝統的な硬直した採用人事スタイル」が散々批判された時代の、企業から比較的好ましいとみなされたのはこのようなタイプです。服装にしろ、仕事ぶりにしろ「きちんとしている」がキーワード。いったんやるとなったら、提出書類を不必要なまでに何度もチェックする完璧主義。手堅い仕事人間ではありますが、規則優先の官僚タイプで柔軟な発想に乏しい地味な人たち・ ・ ・ 。

 

強迫性性格とした元野々村議員ですが、別の側面も・・・


  「強迫性パーソナリティーかも」としてすでに登場しているのが号泣会見の(元)野々村兵庫県県議員です。


 確かに、野々村元議員の中には強迫的な傾向も濃厚です。 「道を曲がるときには、必ず直角に曲がる」 「子供の頃から、遊びの場所でもフォーマルウェアで通す」 「答弁するときに必ず『今のご意見にお答えいたします』と判を押したような前置きを入れるので、結果、時間切れ」 「車の影が全くない時でも信号が赤だったら1人だけでも渡ろうとしない」 「修学旅行の時まで受験参考書を持って行き、時間を惜しんで勉強」 (強迫性パーソナリティーは、演技性パーソナリティーとは逆で、 「やっていることが、楽しい」ことではなく、 「やったことによって、成果が出るか」と言うことによって行動を選ぶ成果主義の傾向が強い」一面があります) 。


  しかし、旅費などの公費に関して出鱈目だった野々村議員を典型的な強迫性タイプと言うことができるでしょうか。この点に関して、野々村議員について記事に書いたときにも、 「他の見方もできる」と述べておきました。

 

鍵は名刺交換の意味の解釈にある


  「他の見方をした方が良いのか」と言う事は、あの号泣会見の冒頭で、一人ひとりの記者と名刺を交換し、質問に答えるとき名刺で名前をチェックしてから喋っていた」と言うことを、 「ルール・形式にこだわる融通の利かなさ」の表れと解釈するのか、 「手厳しい質問がやってくるだろうと予想し、 『誰が、どんな発言をしたのか、ちゃんとチェックしているぞ』という牽制」と解釈するかによって、全く話が違ってくるからです。そしてその後、 (細かいところは勘違いがあったようですが) 「プライバシーを脅かされた。自宅まで取材に来たのは名刺を見ると○○・・・」と反撃したところなどを見ると、どうも「攻撃されることを予想した牽制」と見た方が良いような気もしてきます。すると、見方としては、 「 強迫性パーソナリティーと妄想型パーソナリティーのブレンド」と言う線が出てきます。

 

妄想型パーソナリティー・・・内に秘めた自分への過大評価

 妄想型パーソナリティーの基本的な特徴は、「周囲から不当な扱いを受けている」という被害者意識であり、周囲に対して些細な現象の裏に悪意を発見しようとして執拗さを見せることです。


  私が、強迫性パーソナリティーの線に沿って考えながらも、どうもすっきりとしなかったのは、野々村議員の過去の言動の中にかなりぶっ飛んだものが散見されたからです。

 

仏・ 龍神・宇宙


 以前、議会で「仏の野々村竜太郎が龍神と化して龍がごとく、議会を焼き尽くす」と“問題発言”をしたこともあるという報道もありました。「仏」にしろ「龍神」にしろずいぶん強大なものに自分を模したものです。原則的に強迫性パーソナリティーは「私は○○社の係長」というような「組織人としてのアイデンティティー」がつよく、こんな発想はまずありません。これらは、野村議員の中に「超絶的強大な自己」という非現実的な感覚があったことを感じさせます。「自分とは関係ない選挙でも、投票用紙に自分の名前を書く」という逸話も過大な自己評価でしょう。


 また、「俺にできないことはない」ぐらいの過大な自己評価があったようで、4年ほど前、自営業男性が、食事の際に野々村氏は「宇宙の力を手に入れると仕事も健康も良くなる。自分はその宇宙のパワーをコントロールできる。あるセミナーを始めてからは『宇宙の力がみなぎって何事もうまくいくようになった』名刺の裏にも宇宙の写真が刷り込まれてありました」とか。

「皆が悪意を抱いている」ほどの重要人物なのか?

 妄想性性格者は、自分自身を重要人物と考えます。「みんなが自分を陥れようと敵意を持っている」と信じる人は、逆に「自分はみんなにとって重要人物」という過剰な自意識を持っているものです。出来事を自分に関係づけて考えるという強い傾向を持ち、自分だけに感知できる「攻撃」を周囲から受けている、と決めつけます。

 

この立場から号泣を解明すると


 ある年度の委員会選出で同じ常任委員会入りを希望したA議員と野々村氏。調整の結果、野々村氏は別の委員会に所属することになりました。すると野々村氏はA議員に対して「この恨みは一生忘れない」とメールを送信し、その後も敵意を露骨に見せた態度をずっと続けたそうです。


 とにかく日頃から、電話受け一つでも、突然怒り始めることがよくあったとか。「彼らは、自分の無能・無力さを思い起こさせるような立場におかれそうになったり、ほんのちょっとした刺激に対してもすぐに怒り出す」とミロンは指摘しています。


 どうも、普段から「周りから過小評価されている、陰謀だ」と言いたげな敵意を積もらせていたのかも知れません。ミロンはまた「この敵意は積もり積もったものであり、いったん引き出されると、それまでに蓄積された怒りが爆発することもある。些細なはずの出来事に対して、過去から鬱積している怒りが焚きつけられ爆発することもある」としていますが、これこそ突然の号泣を説明するものかも知れません。

 

小保方・野々村どちらでもお好きな方をどうぞ


 計画好きな頭でっかちの強迫性性格の頭の中は論理で一杯です。どうも野々村元議員の論理は整合性がほとんどないように見えるのです。ただの強迫性性格は、とにかく性格で責任感が強いので、地味であっても組織の有能な一員でいることはできます。対して、野々村議員は議会がもてあましていたようですね。強迫的な一面を持ちながら、中身はかなり妄想的だったのかも知れません。


 さて、究極の質問です。あなたが会社の社長さんで小保方さんか野々村さんかどちらか一人を採用しなければならないとしたら、どちらを選びますか?