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矢幡洋の犯罪心理学と事件-日々の考察

犯罪事件コメンテーターとしてTVに出ることがあります。社会の出来事や自分の体験を心理学的に考察します。3日に一度、昔、単行本などに書いた少年犯罪分析を連載します。自分で取材した古い事件もあります。他、本家ホムペ・ブログ更新情報も告知します。

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理研・笹井芳樹氏自殺の原因 | 現時点の報道で考えられる3つのこと

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 理研発生・再生科学総合研究センター(CDB)の笹井芳樹・副センター長が自殺したと言うニュースが日本中を驚かせています。輝かしい業績のある研究者がこのような形で自ら命を断ったことに哀悼の念を表します。現時点で心理学的な立場で言いうることをわずかながら述べてみます。

 

死の意志は固かったと思われます


 まず第一に、 「死ぬ」意志の強さです。
 自殺には様々な方法がありますが、死に至る可能性の弱い順から並べると「服毒」 「リストカットなどの自傷」 「飛び込み・飛び降り」 「首吊り」であると言われます。つまり、自殺の方法の中で首吊りは死に至る可能性が最も高いものであり、それだけ「死ぬ」意志が強固な方法であるといえます(全てがそうだと断言するわけではありませんが、青酸カリなどはともかくとして、 「薬を大量に飲む」自殺方法は、周囲に気づかれる場合が多いので、 「自分はこんなに苦しんでいることをわかってほしい」と言う事をアピールしたいという意図も強いと言う場合があります) 。笹井氏の場合、 「覚悟の自殺」であった事は確実でしょう。

 

衝動的な自殺ではない


 
また、笹井氏の自殺は、衝動的なものではなく、考えぬかれた上に選択されたものであろうと思われます。なぜならば、 「複数の遺書を書く」 「自宅から遺書を持って研究棟まで行く」 「遺書を、 1部はカバンの中、 1部は机の上に置く」など、自殺の準備にまで相当な時間がかかっていると思われるからです。 「いきなり飛び降り」と言うことであれば、衝動的な自殺かもしれませんが、笹井氏は、長い時間を要する行動の中で、ずっと「自殺する」と言う意図を維持し続けていたと思われます。
 以前、笹井氏の指導に当たったことがある年長の研究者が数日前に「がんばりなさい」と言うメールを出したところ、返事が返ってこなかった、と言う報道がされています。あくまで可能性ですが、少なくとも1週間ほど前にはすでに自殺の決意を固めていたのかもしれません。

 

自分の行く末の悲観、プレッシャー…主なものでしょうか


 
 笹井氏が自殺を選んだ理由として、今後様々な憶測がなされるでしょう。そして、真相はわからぬまま終わる可能性も高いでしょう。
 理由として候補にあがるのは、 1つは、 「個人的な行く末を悲観して」と言うことです。理研の内部で、笹井氏に対する厳しい処分が検討されている事は報道されていました。
2つ目は、プレッシャーです。今月、STAP細胞に関する検証実験が予定されていました。笹井氏が、個人で自己検証するうちに、STAP細胞実験への確信が揺らいで行き、 「検証実験で失態を晒さざるを得ない」と予想してプレッシャーに耐えられない追いつめられた心境になった、と言う可能性です。(小保方さん宛の遺書の中には STAP細胞を実現して下さい…という一節があったそうですが、これは自殺の理由を説明するものではありません。後輩に対する励ましの言葉としてはこれが最上のものと思われたのでしょう。恨み言を他人にぶつけるよりも、他人を大切にしている姿勢がうかがわれると思います)

 

組織と個人の関係

 

 以上2つは、すぐに思いつくものですが、私は別の可能性の方が高いと思います。その理由は、笹井氏が死に場所として「CDBと通路でつながった先端医療センターの研究棟の4階と5階の間にある踊り場で、手すりにくくりつけたひも状のもので首をつっていた」と言う形を選んだということです。もし、 「個人的な行く末を悲観して」ということであれば、死に場所としては自宅で十分でしょう。
 ところが、笹井氏はわざわざ勤務先を選びました。笹井氏にとって、あくまで自殺は「理研発生・再生科学総合研究センター関係者の死」以外の形では考えられなかったのではないでしょうか。
 それを裏付けるものとして、小保方晴子・研究ユニットリーダー宛ての物を始めとして、カバンの中の3通の遺書がそれぞれ理研のメンバーに対するものであったということが挙げられます。デスクの上にも遺書らしいものが置かれていたと言う報道がありますが、理研の複数メンバーにあてたものだったのかもしれません。笹井氏は最後のメッセージをあてる相手として同僚を選んでいました(もちろん、自宅から外にあてた遺書が発見される可能性はありますが) 。
 これらを見ると、 「自分が理研に対して迷惑をかけてしまった」と責任を背負いこんでの自罰的な自殺であった可能性を考えてよいと思います。
笹井氏は釈明会見においても、理研のバッジをつけて現れ、それについて質問されると「今日、ここに出てきた一番の目的は謝罪です。多くの人に混乱と、失望、ご迷惑をかけたことにセンターの幹部としておわびを申し上げたい。一個人としてのみならず、幹部の一人としてなので、正式ないでたちで、職員の一人として来ています」と与えています。記録では、「センターの幹部として」と言う言葉が2回繰り返されています。
 以上を見ると、笹井氏は、理研との一体感が強かったのかもしれません。アイデンティティーの中で、 「理研の幹部」と言う事が占める割合が大きかったのかもしれません。しばらく体調を崩して入院していた時期があったようですが、 「理研に迷惑をかけた」と言う葛藤の大きさが一因となっていたのかもしれません。

 笠井氏にはやや責任感を過剰に背負い込む一面があったのかも知れません。小保方さんに対する苦言が書かれていても必ずしも不思議ではないのですが、あったのは「あなたのせいではない」という言葉だったということです。他人を非難しようとしないこういう人が、過剰なストレスを背負うと、矛先が自分に向かってしまうということは多々あることです。小保方さんよりも、論文のチェックに甘さが残ってしまった自分の方を責めてしまう人だったかも知れません。

 

死に場所の微妙さに現れたためらい


 以下のことは、かなり憶測が混じります。
 笹井氏が選んだ死に場所は微妙です。理研の中の1室ではなく、 「通路でつながった研究棟の踊り場」です。もしかすると、 「理研の中で首をつったら、理研への恨みととられたりして迷惑をかけるかもしれない。理研の幹部ではあっても、理研の中を死に場所に選べる権利は無い」と言う迷いのもとで、 「通路でつながった研究棟の踊り場」と言う微妙な場所を選んだのかもしれません。

 

遺書の「疲れた」にはマスコミ報道にも一因はないのか

 

 最後に、この間、笹井氏に対してマスコミが作ってきた風評に一因はないのかどうか考えてもよいでしょう。それは、大まかに言えば、 「ずっと優位に立っていた笹井氏は、山中氏に逆転されて、巻き返しを図ろうとして、世間の注目を集める目的で、小保方さんを始めとする女性研究者を周囲に集めていた」と言ったものです。これに対しては、同じ研究分野の研究者から「山中先生をライバル視しなくても、この分野には世界中にライバルがいるのに・ ・ ・ 」と疑問視する声も報道されていました。 1部のマスメディアの中には、笹井氏と小保方さんは男女の関係にあるかのような報道をしていたところもありました。
 普段、地道な研究生活を送っている研究者にとって、突然スキャンダラスな形でマスコミの脚光を浴び、あることないことを世間一般に流布されるという事態は全く未経験の事態であったはずです。一研究者のプライバシーにまで踏み込むような報道が笹井氏の自殺に影響を及ぼさなかったかどうかも検討の必要があるでしょう。

 遺書の一部が報道されていますが、「疲れた」という言葉もあったようです。「疲れた」はマスコミによる風評によるものもあったのではないでしょうか。