矢幡洋の犯罪心理学と事件-日々の考察

犯罪事件コメンテーターとしてTVに出ることがあります。社会の出来事や自分の体験を心理学的に考察します。3日に一度、昔、単行本などに書いた少年犯罪分析を連載します。自分で取材した古い事件もあります。他、本家ホムペ・ブログ更新情報も告知します。

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専門家のミスリードが佐世保高1女子殺人事件に影響している可能性 | 別居を指示しながら精神病院は手を引くそぶりを見せていたのかも知れない

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 センチメンタル・ドラマより問題な 専門家のミスリード

 

 専門家のミスリード-新たな構図が浮上している。せっかく1部で起こっていた「人間ドラマの結果としての殺人」説はお釈迦になってしまった。 「父親の再婚が裏切りだった」 「傷つきやすい人の少女の心情」それらのセンチメンタルな歌声は弁護人を通して少女が「父の再婚には最初から賛成していた。「母が亡くなり寂しかったので、新しい母が来てくれてうれしかった。仲良くしていた」と言う言葉も伝えられた。 「亡くなった母のことはもうどうでもいいのかな」と言っていたという知人の証言が1つだけあったが、もう一方には、加害者少女の方にも、新しい母親に関心を移す動きが早々と起こっていたのである。 「母親の死後、父親がすぐに再婚したことに傷ついて・ ・ ・ 」と言うヒューマニスティックな歌を歌い上げていた精神科・心理コメンテーター諸氏はそれでも「わかりやすい人間ドラマ」を歌い続けるのであろうか-皮肉は、ここまでにしておこう。新しい情報が現れれば、見方を変える事は誰にでもあることであり、むしろ初期報道の時点から意見が変わっていない方がよほどおかしいだろう。私は、 「女酒鬼薔薇説」(いま出ている女性セブンで私のこの見解が紹介されている)を変更するつもりはないのだが、ここに来て酒鬼薔薇事件にはなかったあまりにも大きな要因があったことを知った。

 

 精神医療や心理カウンセリングの介入が全くなかった 酒鬼薔薇 事件に比べて …

 

 それは、酒鬼薔薇の場合は、精神医療や心理カウンセリングの介入が全くなかったのに比べて、佐世保高1女子殺害事件の場合には、中学3年時に父親が少女にバットで殴られて入院した後は、事態の大きな部分が専門家の指導によって運ばれていた、と言う違いである。父親が少女と別居したのは、 「父親の生命に危険があるから」と言う精神科医の指導によるものであった(ちなみに、これは必ずしも奇想天外な指示では無い。斎藤環なる「引きこもりの専門家」と称される精神科医は、 「家庭内暴力があったら、暴力を受けた側が一定期間別の場所に移る、と言う手段で100%おさめることができる」と力説しており、担当医がこのよく知られた主張に従っても不思議では無い。私は、 「物理的に遠ざければ暴力のしようがなくなるのは至極当然」と言う程度にしか思えないのだが) 。

 

医療側指示と学校側指示は対立していた

 

 これに対して、学校側は「別居は好ましくない」と意見し、父親は別領域の「専門家」から、全く相反する指示を受けることになる。結局、父親が選択したのは精神医療サイドからの助言であった。父親と新しい母親は、父親の暴力事件後、少女を2つの精神病院に通わせていたわけで、少女はかなりの部分、精神医療の管理下にあったのである(精神病院の臨床心理士ではないかと思われるが、カウンセラーの指導も受けていた。父親は、精神医療のサポートシステムと、学校教育のサポートシステムとのあいだで、前者の指導を選択したのである。

 

精神医療がうまく対処できなかったらしいこれだけの理由

 

 では、精神医療のサポートはうまくいったのか。まだ、その詳細は明らかになっていないのであまり深入りはしない方が良いのかもしれない。ただ、現段階で分かっている情報から憶測すると、精神医療の関与はまるでうまく行かなかったのである。

 そもそも、 「 2つの精神病院に通院させた」と言う事実が、 「最初の精神病院の対応だけではダメだった」と言うことを露骨に表している。そして、少なくとも一方の精神科医は、その関与が無効であった事実を示す行動に出ている。

 

精神科医が「殺人しかねない」と相談していたのは実は美談でも何でもない


 「精神科医から児童相談所に『このままでは、殺人を犯しかねない』と言う相談があった」と言う報道である。最初これは、 「精神医療は少女の殺人を予見できた」かのようなトーンで報道された。少なくとも、私のところに来た週刊誌の電話取材はそうだった。記者の方はほとんど声をはずませて「どうやって見抜いたんでしょうか」とおっしゃる。私は、内心「殺人可能性を予見する精神医学的手段は無い」と戸惑いながら「実際の診察内容が分からないので、よくわかりません」と答えた。記者の方からはさらに「そういうことがわかる心理テストがあるのですか? 」と言う質問があったので私は「殺人可能性をチェックする心理テストは存在しません。攻撃性の強さをチェックするものならありますが・・・今、想像出来る事は、 『攻撃性が次第に増してゆくプロセスが観察されたのかもしれない』と言うだけの程度のことです」と答えた。

少し時間を置いて要約私には事態がおぼろげに見えてきた。私の予想はこうである。 「精神科医も、どうして良いのか分からなかった」-児童相談所に『このままでは、殺人を犯しかねない』と言う相談をしたのは、 「精神医療の素晴らしい予見可能性の力」を示す素敵な話では無い。最近の事情はよくわからないが、私の10年近い精神病院勤務経験の中で精神病院が児童相談所に相談を持ちかけた、と言う事は1度もなかった(児童相談所からアドバイスを求められたり、相互に連携をとったりすることはあったが、精神病院の方が切羽詰まって児童相談所に助けを求める、と言う事はなかった。精神病院は、投薬・入院という最強の手段を持っているからである) 。

 

「殺人の予防拘禁」などという役割には不向きな精神病院

 

 精神病院は、元来、治療の場所であって、 「犯罪予防のための拘禁施設」では無い(1部の人は、そのような機能を精神病院が果たすべきだと考えているようだが、 「病気の治療」 「予防的拘禁」と言う両方の目的が混在すれば、 「病気の治療」機能のほうは致命的打撃を受ける) 。本人の同意抜きの入院には、すでに症状が顕在化して診断が下がっていることや自治体首長の合意などが必要である。 「面倒なことは言わず、周囲の意見だけで、さっさと入院させてしまえ」と言う方には、西洋で、 「周囲の意見」で高齢者を入院させその遺産を周囲が乗っ取ることや、私が聞いた古い話だが、病院経営が苦しくなるとすでに退院した患者(特に生活保護を受けている患者)を病院職員が捕まえに行って入院費を稼ぐという「患者狩り」があった、と言うことを付け加えておこう。幻聴によって興奮している、鬱状態によって自殺の危険がある・ ・ ・などの状態に対しては精神病院は強力な手段を持っているが、 「殺人を犯しそうだ」などという事態に対しては、ほとんど対応策は無い。元来、そのような目的のために作られた機関では無いことを再三強調しておこう。

 それに、最新の情報では、この精神病院は満床で、少女を入院させる余地がなかったようだ。

 

継母の証言が鍵を握っている

 

 別居を指示した精神医療と、同居を指示した学校サイド。どこかで精神医療のミスリードがあったかどうかという事は、新しい母親の次の証言が鍵を握っている。 「最初は良かったけれど、どんどん悪化して・ ・ ・ 」精神医療の関与下で「何が」悪化していったのか。それが明らかになれば、果たして精神医療が適切な関与をしていたかどうか明らかになるであろう・ ・ ・だが、ほぼ予想はつく。事件の数日前、少女は「人を殺して解剖してみたい」と新しい母親に話す。母親からそれを聞いた父親は事件前日25日夕、時間外に県児童相談窓口に電話している。

 

父親のパニック電話は何を意味するのか

 

 ここから、 2つのことが明らかになっている。 1つは、 「時間外に電話した」と言う事は、追いつめられた父親がほとんどパニック状態になって援助を求めていた、ということである。もう一つは、この時点で父親は精神医療サイドの援助の限界に見切りをつけていたのではないか、ということである。この時間帯、精神病院になら、必ず宿直医がいる。 「精神病院にも急報したが、何もしてくれそうもないので、一縷の望みを抱いて児童相談窓口に電話した」のか、 「それまでの精神病院の対応から、もう頼みにならないから児童相談所にも助けを求めざるを得ない」と考えていたのかどちらかである可能性が高い。

 

「たらい回し」しかねなくなっていた精神病院のうろたえ

 

 病院側は、入院も検討していたというが、それ以前に、 「殺人を犯すかもしれない連絡」を児童相談所にしていたと言う事は、 「医療では対処できない」と考えて、児童相談所に(悪く言えば)丸投げする動きをちらつかせていたのではないだろうか。

 

防ぎようがなかったかも知れない可能性を視野におきつつ


  ネットで、精神医療分野では無い論者がレクターの言葉を引いて、 「あの時、ああしておけば、防止できた・ ・ ・と言う事件では無いのではないだろうか。どう転んでも、いずれは殺人を犯していたと考えざるを得ないのではないか」と発言していた。直ちに全面的に賛成することはできないが、そのようなニュアンスが強い事件であるという点については私も同意する。だが、その前に、親がこれほどまでに専門家の援助を仰いでいた上、専門家がどのような対応をしていたのかはもう少し明らかになっても良いのではないかと思う。