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矢幡洋の犯罪心理学と事件-日々の考察

犯罪事件コメンテーターとしてTVに出ることがあります。社会の出来事や自分の体験を心理学的に考察します。3日に一度、昔、単行本などに書いた少年犯罪分析を連載します。自分で取材した古い事件もあります。他、本家ホムペ・ブログ更新情報も告知します。

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野々村議員号泣会見TVコメントを自己批判する | 5点までは強迫性性格で説明できたが残る謎は…

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強迫性性格-ルールずくめのお堅い人たち

整然としたデスク、日課が大好きな人たち 

 

 

 僕は、ミヤネ屋で、野々村元議員が会見で号泣したメカニズムを強迫性パーソナリティーの1現象として解説しました。今、その解説は号泣会見の1部しか説明できていないと思っています。ただ脅迫性パーソナリティーっぽく見え、そう説明しても良いと思われる部分があったことも確かです。それは、以下の通りです。

 

 強迫性パーソナリティーとは、 「秩序に厳密に従おうとする完全主義的な行動傾向」を指します。例えば、 「極度の整理整頓好きで、デスクの上は、いつも定義で測ったかのように整然とものが置かれている」 「時間厳守にうるさく、自分の日課を作って、その日課の時間が来たら、それまでやっていたことを中断してでも日課を守ろうとする」 「何事も、まずスケジュールを決め、想定外のことが起こっても、最初のスケジュール通りにやろうとする」などの特徴を示す人たちです。真面目は真面目なのですが、堅苦しく、四角四面で感情に乏しく、ルールにこだわる融通のきかない人たちです。

 

誰にも強迫性傾向は多かれ少なかれある


  小さな強迫的傾向であれば、どんな人も多かれ少なかれもっています。例えば、 「 4巻からなる本の中の必要なのは第3巻だけなのに、第1巻から順を追って読んで行かないと気が済まない」 「お椀の隅っこの方にこびりついた小さな米粒まで完全に落とさないと気が済まない」などです。誰にでも1つや2つはある確認癖も1種の強迫的な完全主義の1つの現れである場合もあります。 「いちど閉めたはずの鍵を何度も確認しないと不安になる」 「きれいに手を洗ったのに、汚れが完全に落ちていないような気がして、何度も繰り返して洗わないと気が済まない」 「もう十分にチェックした書類を、さらに何度もチェックしないと気が済まない」などです。


  ルーティンを重視する現代社会の中で、このような「規則通り、確実に」と言う事は誰にでも要求されることであり、どんな人にでも、このような傾向は多かれ少なかれ存在します。注意しなければならないのは、このような傾向が問題になるのは、その度合いがひどくなりすぎて、日常生活をはなはだしく阻害している場合だけです。つまり、 「何度も鍵がちゃんと閉まっているかどうかを悪人しないと気が済まないので、それをやっているうちに、毎回約束の時間を大幅に遅れてしまう」 「手を洗うことに何時間も費やして他のことができなくなってしまっている」などの場合にのみ問題になります。

 

野々村議員あるある強迫的エピソード

道を直角に曲がった野々村少年

 

 僕が、野々村元議員が基本的にこのタイプに属するのではないかと想定したのは、号泣会見の冒頭を見たときです。野々村元議員は、旅費の疑惑に対する釈明会見の冒頭で、記者の方々に、一人一人の名刺交換を強く要求し、各人に対してお辞儀をしながら名刺交換をするのを見たときです。 「この人は、物事の順序を杓子定規に守らないと気が済まない人なのではないか」と言う仮説が浮かびました。その後、野々村元議員が、記者の質問に答えるたびに、まず名刺で名前を確認しながら応答しているのを見て、ますます「この人は、堅苦しいまでに物事の順序を守らないと気が済まない人だ」と思いました。

 

 実は、野々村元議員のこの堅苦しいまでの「規則を守る」側面は、若い頃から見られたものだったようです。以下、週刊新潮7月17日号の「号泣県議員モンスター事件簿」で書かれているエピソードを紹介します。


  まず登場するのは、野々村元議員が育ったランチに昔から住んでいるおじいさんの証言-「小さい頃から真面目いうか変わっておる言うか・ ・ ・階段とか道を曲がるとき、直角に曲がる。キュって。動きが直角」 。なるほど、 「曲がる」ルールに関しても正確だったようです。

 

いつでもどこでもフォーマルウェア


  別のご近所の証言-「他の子供達がみんなラフな格好で来る学校のクリスマス会の時に、竜ちゃんだけ子供用のスーツ着て、髪も73分けにしていた」 ・ ・ ・なんでも「フォーマル」にしようとする傾向はミロンが指摘しています。


  名門北野高校時代にはコーラス部に所属していましたが、同級生は「一言で言うと、くそ真面目」と、次のようなエピソードを話します。 「練習が終わって、みんなで一緒に帰るとき、赤信号でも車が走っていなければ分かることもありますよね。でも、彼は赤信号の時は1人だけでも絶対に止まるんです 」 ・ ・ ・強迫性性格者は融通がきかないまでに規則やモラルを守ろうとします。

 

「儀式」で始まるスピーチは長すぎて司会者が制止


  選挙運動中、青年会議所主催の討論会では、 「しゃべり方が、独特ある質問に与えるとき、まずゆっくりと『今のご質問にお答えします』と言ってから喋る。いつも持ち時間を延長してしまい、司会者が途中でさえぎらざるを得なかった」と言うことです。

 

 この強迫性性格の根底には強い攻撃性が潜んでいる、というのがミロンの主張です。彼らは、 「自分の中の攻撃性を出してしまったら大変なことになる」と恐れていて、それをカモフラージュする手段として、自分の行動をルールに従ったものだけにしようと必死になっているから杓子定規になるのだ、と言うわけです。その上、自分のなかの「攻撃性・怒り」 「怒りを抑えようとしている心の働き」なども「見るまい、見るまい」としている・ ・ ・そうすることによって、彼らの心の中は、それらの心の各部分が互いにつながりがない状態になっている、とミロンは指摘します。

 

これが号泣の理由だ

 

無味乾燥な平板トークが抑えていたもの

 

 僕は、このミロンの説明には必ずしも賛同していません。それでも、この説にそえば、突然号泣を始めたメカニズムが説明できるのではないかと思いました。

 

 会見の冒頭を見てみましょう。野村元議員はほとんど無表情で、そこに感情を見ることはできません。質疑応答の場面でも一貫して口調は平坦で感情を見せません。ミロンは、強迫性性格者は 「ルールで自分をがんじがらめにしておかないと、大変なものが外に出てしまう」と恐れているために、感情を常に抑圧しているので、外見的には、堅苦しく生気が感じられない」としました。 1つ、野村元議員の堅苦しい佇まいは強迫性性格で説明できると思いました。ふたつめに説明できるのは、記者の発言を執拗に聞き返す確認癖です。 3つ目に説明できるのは、野村元議員の号泣前の説明の繰り返しの多い長たらしさです。


  会見が長引くにつれて、野村元議員の一見淡々とした釈明の中に、 「あー」「うー」というような無意味な発声が次第に出てきます。釈明している時の平坦さに比べて、苦しげな感情がこもった明らかに異質な声です。僕はこれを、普段抑圧している感情が出てきたものだと説明しました。

 

号泣後の顔はけっこうサワヤカ


  そして、いよいよ突然の号泣です。僕は、これはミロンの説明で解釈するのが最も適切だと思いました。つまり、普段から非常に強い怒りがあること、またその怒りをこれまた非常に強い抑止力で抑制している事。だからこそ、いったんその抑止が効かなくなってしまったときに、怒りの爆発も普段ため込んでいるだけに半端なものではなくなってしまった。普段自分を過剰にコントロールしているために、一旦そのコントロール力が崩壊すると、逆に全く統制不能な状態になってしまった・ ・ ・個人的には、この解釈は割とうまくできているような気がしていました。

 

 そして最後に、聞いている人々をずっこけさせたという「最初に、感情的にならないようにと申し上げたのに、私自身が感情的になって申し訳ありませんでした」と言う一言です。この部分はVTRで何度も確認したのですが、僕には、冒頭に比べると、心なく表情がすっきりしているような気がしました。そしてそれは、 「普段ため込んでいたものを発散できたことによる解放感」と説明できると思いました。これが、 「強迫性性格」と言う仮説でうまく説明できそうな5番目の点です。

 

実は未解明部分が残る

 

 ミヤネ屋で説明したときには、強迫性性格をベースに考えていました。しかし、その後、強迫性性格だけでは説明できない追加報道を目にしました。今、僕は、強迫性性格だけで説明できるのは号泣会見の半分だけであり、もう半分はもう少しぶっ飛んだ妄想型性格で考えなければならないと思っています。機会があれば、強迫性性格よりもはるかにレアな妄想型性格の見地からも解説してテレビコメントの不備を補いたいと思っています。