矢幡洋の犯罪心理学と事件-日々の考察

犯罪事件コメンテーターとしてTVに出ることがあります。社会の出来事や自分の体験を心理学的に考察します。3日に一度、昔、単行本などに書いた少年犯罪分析を連載します。自分で取材した古い事件もあります。他、本家ホムペ・ブログ更新情報も告知します。

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最も犯罪被害に遭いやすいのはこのタイプだ | 愛媛・伊予市女性遺体事件に見る犯罪弱者

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愛媛・伊予市女性遺体事件の新しい情報が少ない

 いちにち経ったのですが、特に新しい情報は無いようです。それほど大きく注目されている事件ではないのですね。


  少なくとも、大野さんが無職女36歳とその息子娘3人とを中心とする協同生活の中から「何度も逃亡を図っては、引き戻された」と言う証言はなく、現時点では、殺害されるまで、ある程度本人の意思でそこに留まっていたと考えてもよさそうです。

「とどまった」ことは別様に解釈できるかも知れない

  「自分にアイデンティティーを与えてくれるプチ反社会的集団と同一化しようとしていた」という見方を紹介しました。しかし、大野さんが結局このグループに止まってしまった理由は少しニュアンスが違っているかもしれません。

もう一人の少女との対比で浮かび上がる

  それは、このプチ反社会的集団の中にもう1人いたとされる居候の少女と対照的な行動をとってるからです。もう1人の居候少女は、昨年秋ごろ、この一家から家事を押し付けられるのに反発し、出て行っています。その後、出ていった少女の後釜の位置を占めるようになったのが大野さんです。そして、食事の支度、小さな子供の面倒を見ることなどをさせられていた、と言う報道がなされています。

 

「下」に置かれることになれている人たち


  ひとりの少女は、下僕扱いされることに憤慨して去っていきました。しかし、大野さんは、下僕扱いされる事を許容してしまいました。そして、それはエスカレートし、一家のストレス発散の対象とされるような「サンドバック扱い」にまで彼女の位置は転落してしまったのです。


  つまり、大野さんは、下僕扱いに憤慨して出て行った少女に比べると、自己評価が低かったということになります。立ち去った少女は、屈辱的な下僕扱いをされてプライドが傷つき、腹を立てたのではないかと私は思います。ところが、大野さんはそれを受け入れてしまった-彼女の方が、下僕のような位置に甘んじてしまう一面を持っていた。 「何で私がこんなことをさせられるの! 」と怒るのではなく、 「こういう役回りは、私にお似合いの仕事」と受け入れてしまった可能性があります。プライドが高くなかった、逆に言えば、自己評価が低かったのです。

 

最弱・依存性パーソナリティー


  もしかすると、大野さんは依存性パーソナリティーと呼ばれるグループに属していたのかもしれません。このタイプはミロンの14の分類の中で言ってみれば「最弱」とも言える存在です。根本的に、自分に自信が持てずどこかで「私なんて半人前」と言う意識を持っています。 「他の人の方が、私より上手く出来るに決まっている」と思っているので、他人に依存します。みなさんも、用もないのに、人の後をついて回ったり、話を切り上げようとしても、しがみつくように話を長引かせようとするような甘えん坊タイプを見た事は無いでしょうか。彼らは、心細くてひとりで入ることができないのです。

 

最も犯罪被害に遭いやすいのは依存性性格


  依存的なタイプの人ほど、犯罪被害に遭いやすい人たちはいないでしょう。彼らは、簡単に丸めこまれて相手の指示に従ってしまいます。また、 「この人に任せておけば大丈夫」と信じがっているので、いったん人に任せると、楽天的になりすぎて、状況をシビアに判断できない一面を持っています。

 

ただのなれ合い集団だったのか?


  もしかすると、この一家は、 「オレ達は、社会のはぐれ者」というような対抗的アイデンティティーをメンバーに与えることができるほど、鮮明な旗を当てていた訳では無いのかもしれません。ただの「一緒につるんでいると、楽しいし安心する」と言うだけの馴れ合い集団だったのかもしれません。

 

「下」の「スケープゴート」を求めていた


  ただ、彼らははっきりと愚連隊を意識していたわけではなかったにせよ、ある危険な一面を持っていました。それは、所属メンバーのうちの1人をスケープゴートに仕立て上げずに居られない、と言う特徴です。 「少なくともこいつよりは自分たちの方が上」と言う相手を備え付けていなければならなかったのかもしれません。


  彼らは、 1段低く見られた大野さんに、次々に雑用を押し付けていきました。 「 1段低い仕事」を押し付けられてもそれに大野さんは甘んじてしまったのかもしれません。すると、彼らは、暴力沙汰でも彼女が屈服することを求めるようになります。しかし、依存的な人というのは、それすらも「自分が悪かったのだ」と受け入れてしまうところがあります。大野さんが卑屈な態度をとることによって、 「もっと横暴に振る舞って、こいつを奴隷にしてやろう」というような彼らの暴力性を引き出せしまったのかもしれないのです。

 

依存性性格者の力は生かされなかった

  依存的な人たちの最も得意な技は、対人関係で相手に波長を合わせることです(このために、八方美人に見えたり、没個性的に見えたりします) 。しかし、そこには相手の気を悪くさせまいとするこの大部独特の善意があります。評判の悪かったこの愚連隊の中でも、大野さん1人だけは「明るくて感じが良い」と好意的に見られていたようです。


  この愚連隊が大野さんを見下して下僕をやらせているうちに、実は、彼女の最大の力が発揮されていました。この連中に関わりを持ちたがらなかった周囲の住民たちが、警察や相談窓口に「このままでは、あの若い女性が危ない」と大野さんに代わって彼女を守ろうとする動きに出ていました。明らかに周囲の住民は、愚連隊と大野さんとを区別してみていたのです。 


 「頼りなげで、助けてあげたくなってしまう」といった周囲の助力を引き出す力にかけては、依存性性格の人たちは抜群の力を持っています。それは、彼女を踏みつけてふんぞり返っていた連中が欠片ほどにも持っていなかった力でした。しかし、大野さんの「人柄の良さ」がいつの間にか生み出していた「お守り隊ネットワーク」がその成果を出す前に、彼女の人生は終わってしまいました。